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作業療法士の独り言

ハンドリングのコツ(尊敬する態度)

実技研修中に、嫌な気持ちになった事ありませんか?不快なハンドリングを味わった事はないですか?どうして、そんな気持ちになったのか、読み解くヒントとして、アドラー心理学の「幸せになる勇気」から紹介します。

行動面   ①自立する事
              ②社会と調和して暮らせること

心理面   ③わたしには能力がある認識
              ④人々はわたしの仲間である認識


「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。」ユーリッヒ・フロム


「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである。」


尊敬(respect)の語源となるラテン語の「respicio」には、「見る」という意味があります。まずは、ありのままのその人を見るのです。あなたはまだ、なにも見ていないし、見ようとしていない。自分の価値観を押しつけようとせず、その人が「その人であること」に価値を置く。さらには、その成長や発展を援助する。それこそが尊敬というものです。他者を操作しようとする態度、矯正しようとする態度には、いっさいの尊敬がありません。

水辺まで連れていくことはできても、水を飲ませることは出来ません。
「幸せになる勇気」p38、p43〜p44を一部抜粋。

初めて、出逢う人とハンドリングの練習をするのだから、お互いに緊張するし、気を使います。これは、初回介入の患者さんの気持ちを味わえるチャンスです。緊張は伝わるので、緊張した人のハンドリングは不快に感じやすいですね。

マウンティングをする態度の人と組むと、早く終わらないかなぁ〜と感じます。

経験年数にかかわらず、心地よいタッチが出来る人もいます。

後輩の被験者をすると、時より正解を求められるようなタッチも気持ち良くありません。

何故なら、依存されている。矯正されている。操作しようとしている感覚をタッチを通して伝えているからです。

ハンドリングがうまく出来ていない瞬間を感じ、振り返ってみると、「尊敬する態度」から離れている自分を見つける事があります。

反省し、すぐに修正を行いますが、時はすでに遅く、尊敬されていない、雑に扱われていると感じた時から、心は離れてしまい、その日のセッションは失敗する結果を味わいます。

この感覚は、お互いに辛いです。

「尊敬する態度」を念頭に接する事がハンドリングのコツとして重要だと思います。

追記として、ユマニチュードの世界からハンドリングのコツをまとめる予定です。

タバコを辞めた

禁煙成功と悪縁を断ち切り、欲しかった物を獲得したエピソードを書きます。

学生時代からタバコを吸い始めて、数十年。朝起きたら一服、ご飯を食べたら一服、何かと間を埋めるようにパカパカと吸い続け、1日2箱のベビースモーカーでした。

タバコは辞めないと宣言し、死んだ時は、大好きなマルボロGeorgiaのブルーマウンテン缶コーヒーをお墓参りの時にお供えしてね。と家族・友人に頼むほどでした。

ある時、風邪を引き、喉がイガイガし、咳が止まらない状態と業務のストレスでイライラしている時に・・・。

大っ嫌いな同僚から、妬み・嫉み・嫌み・嫉妬のオンパレードを受け、たまらずに病院の喫煙所に行き、タバコに火をつけました。



「ゴホ・ゴホ・ゴホ。ゼェ〜ゼェ。おえっ。」


案の定、むせ込むは、胃液が上がってくるは、喘息の呼吸になるは、悲しくなるは最悪でした。

ちょうど、タバコも値上がりした時でした。


あれ?あれ?あれ?
おかしいぞ???。
なんだ?なんだ?


もしかしたら、大っ嫌いな同僚のストレス発散の為に、自分の身体を傷つけてないか?高いタバコ代を同僚の為に使ってないか?


チョット待てよ???


妬み・嫉み・嫉み・嫉妬のオンパレードを受け、その反動でタバコを吸い苦しくなり、尚且つタバコ代を使う。


大っ嫌いな同僚の為に、身体・時間・お金を捧げているぞ。


「ウォォォオ〜。辞めてやる。」とゴミ箱にタバコを投げ捨てました。

禁煙スタートです。


口さみしさを補うように、ガム・アメ・キャラメル等で代用し、間を埋めました。

吸いたくなった時、同僚の顔を浮かべるとアホらしくなり、タバコを吸いたい気持ちが半減しました。

喫煙所は好きでした。休憩する事が目的の場であり、和気あいあいとした会話が自然に看護師さん・Dr.と出来たからです。

禁煙が成功した時に、タバコを吸う人を嫌いにならない為に、あえて禁煙所に行き、タバコの代わりにキャラメルを舐めて、一緒に休憩を楽しみました。



そんな事をしながら、三ヶ月の禁煙に成功しました。

継続する為に決断しました。

良し。身分不相応だけど、欲しかった車を買うぞ。もし、タバコを吸ったら、車を手離すというルールを自分に誓いました。



長年にわたり、欲しかったけど、指をくわえて、他人の目を気にして、購入出来なかった車が納車されました。


病院は、噂好きな人が多い為、瞬く間に大っ嫌いな同僚の耳に届きました。


嫌みたらしく、大っ嫌いな同僚が「車買ったんだって。」と声をかけて来ました。その同僚もベビースモーカーで、何度も禁煙にチャレンジして失敗しています。


「タバコの煙をガソリンの煙に変えただけ。」
とサラッと言いました。

大っ嫌いな同僚は、目が点となり、それ以上の嫌みを言う事なく、その場を立ち去りました。


胸がスッとしました。


それから、大っ嫌いな同僚は、私に絡んでくる事が少なくなり、嫌み・妬み・嫉妬の言動からイライラする事がなくなりました。


それから、5年が経ちました。

禁煙は継続し、車を売る事なく、私の誇りとして車は存在してくれています。


辛い事があった時、くじけそうになった時に思いだす事で、自分自身を奮起させてくれるエピソードです。













いまの自分の延長にある、もっとこういう自分になりたい。

治療とかリハビリテーションと呼ばれるものが、単に障害をなくすこととか、不便を減らすこととかでなくて、「いまの自分の延長にある、もっとこういう自分になりたい」という思いを支えるものであって欲しいと思います @dicegeist

@dicegeistさんのツイートから触発され、連続してツイートした内容をまとめました。

私は、成人の身体障害領域で治療と呼ばれる内容がメインのアプローチをしている。治療の先に見え隠れする諦めと自己実現の葛藤を施術中に感じる。

治療をするという状態がひと段落すると、その先にある夢を語られる患者さんが多い。

中学生の野球少年との出会いが気持ちを前に進めてくれた。夢のサポートをしたいと。

「いまの自分の延長にある、もっとこういう自分になりたい」という思いを支える事。今の場から離れる事で、本当に出来るのか?今の場だからこそ出来るのではないか?

個々の立ち位置や能力により、サポート出来る内容が変わるのは事実。だから、学んだ。全国行脚し、お金と時間と体力を注ぎ込んで治療技術を学んだ。

治療=機能面しかみていない。のレッテルを貼られる。

レッテルを貼られて悔しかった。

患者さんがそのレッテルの悔しさを晴らしてくれた。

「いまの自分の延長にある、もっとこういう自分になりたい」を患者さんと共有しながらアプローチしている。側からみたら機能ばかりみているダメなOT。

見ためのアプローチがOTらしいなんて、どうでもいい。

機能アプローチの中に、作業・活動のつながりを明確に感じるように示しながら実施する。「いまの自分の延長にある、もっとこういう自分になりたい」という思いが湧き出る瞬間がある。その瞬間を共有する。

共有していると、お互いに自然と報告や相談する関係へ移行しやすくなる。患者さんは、リハビリ直後に試行錯誤しながらも、何かしらのチャレンジをしてくれている。

そのチャレンジをくみ取る。ねぎらう。賞賛する。

そうしていると、機能アプローチをしている中でも、作業・活動・参加の報告がメインになってくる。

私はOTだ。本当に気持ちのこもった返答し、喜び・ねぎらい・賞賛しているのは、活動・作業・参加についてなんだと思う。そこを利用する。他者に喜ばれるのは嬉しい。喜ばれたいから、喜ばれる事をする。

作業・活動・参加への復権を、自己を利用して誘導する。OTは、作業・活動・参加に対して期待する職業。患者さんの興味・感心を作業・活動・参加へ誘導する職業。

一歩間違えると、担当するOTが思う作業・活動・参加を押しつける危険がある。

自己を利用している事を忘れずに。

親と子の関係で、親が喜ぶからするという子供の心理がある。

一歩間違えると、子供が望むやりたい事から外れる危険性がある。

逆もしかり。

OTという職業ならではの、患者さんに対するコントロール欲求がある事を念頭にする。活動・作業・参加にフォーカスしなくてもいいと思うスタンスも大事。

「あなたの為だから」の世界を提供してしまう事になる。

「いまの自分の延長にある、もっとこういう自分になりたい」を支援する時に大事だと思う事をとりとめとなくまとめました。

今後、追記していきます。